良い世界に住めるのは、良い人だけです

ジャンル分けできないほど、根本的なことを考えて行きます。今までに無い、新しい世界になると思います。

2017-09

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心理学のすすめ

「人の心を読む」という言い方をすると、何かに利用するため、と言う感じがするので、それは止めて、「人の心を感じることができるかどうか」という言い方をすると、私は、(相手が好い人であろうと、そうでなかろうと。)かなり出来ていると思います。
一方、人と相手をしていて、「この人は、人の心をまるで感じていない。」或いは、「この人は、人の心を感じようとしていない。」と思う事が良くあります。

その原因として、私は、このような事が、あると思います。
一つは、人の心を感じる能力がない。
もう一つは、自分の心を優先させる気持ちが強いから。

自分が何を感じているかは、ほとんどの人がわかっていると思いますが、しかし、人の心を感じるには、もう一段上の能力が必要になります。
[ほとんどの人が、他人のことが分かっているつもりになっている。]と、私は思っていますが、しかし、客観的に見ると、やはり分かっていない人が多いと私は思います。(言い回しが、ずいぶんややこしい気がしますが。)

しかし、なぜ、人の心を感じることが出来るのか?もちろん、私は、テレパシーや、直感のようなものが備わっているから分かるのだ、とは思いません。
なぜ分かるのか?その人の、具体的なしぐさや、わずかな表情の変化、また、その人の事で知っている過去の事、などを積み重ねて、この人は、今こう感じて(思って)いるだろう。と、推測ができ、また、それを確かめる力もあって、それが習慣のようにいつも行っているから、わかるようになるのだと思います。

逆に、人の心を感じない人は、自分の心だけを大事にし、自分の思いを実現させる事しか考えていない。人をどう、自分の思うように動かすか、人の心を、どう、自分に向けさせるか、それは、一見、人の心を感じているように見えるが、本当に人の心が分かっているのとは違うと思います。(解るかな?私にはうまく表現できない。)

私が、まず、人に対して、感じるのは、この事です。
対人関係で、まず私が感じるのは、この人は、人を自分の思うように動かしたいと思っているのか、或いは、そうでないのか、ということです。この二つで、その態度、話し方は、ずいぶん変ります。
人の心を感じるには、まず、自分が透明でなければならない。つまり、相手を、自分の思い通りにしようと思う心がある内は、相手は人ではなく物にしか見えない。人の心は感じることが出来ないと私は思います。

人の心を感じるのに必要なのは、第一に、観察力、第二に、経験の積み重ねから、正しい判断ができる事。しかし、三番目に必要なのは、自分の心に相手を思い通りにしようと言う欲望がないこと。この三つが備わって、初めて、人の心を感じることが出来るようになるのだと思います。(単に優しい人が人の心が分かって、冷たい人が、人の心が分からないのだとは、思いません。)

さて、表題の、心理学。私は、これは、観察力の手助けをしてくれると思います。私も、入門書程度の物は、若いうちに一通り読みました。(私が、面白いと思うのは、フロイトの「精神分析入門」です。しかし、もっと新しいものを読んだほうが良いと思います。)しかし、これは、人の心の最大公約数的なものを教えてくれるだけで、個々人の全てがそれに当てはまるわけではありません。だから、実際に相対した他人に対しては、結局自分で、心を感じなければならないのです。こういう顔をした人は、こういう性格だとか、こういうしぐさをすれば、こういう考えをしているとか、マニュアル本のように考えてはいけないのです。

とは言うものの、心理学の入門書程度の物は、やはり、勉強しておくべきだと思います。
良い人は、人の心を感じることが出来る。と、私は思っています。そうでなければ、複数の人が、一緒に住む良い世界は、成り立たないのです。(もちろん、実際には、程度の差という物があります。人の心が完全に読める人と、全然読めない人との、二極に別れるわけではありません。)


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だらしなさについて(その7)

良い世界では、それが軌道に乗ったとき、人々の労働は、現在の世界の、半分くらいになるのでは無いかと思う。なぜそうなるのか、人々は、必要な労働を適切に分担するからだ。それは、人々が、ある程度、自分の持つ恐怖を克服することによって、初めて得られる。良い世界の人間が、賢くなければならない、というのは、こういうことからも言えるのだ。過去の、賢人といわれる人たちも、多くはあくせくするような人たちではない。
また、良い世界の人たちというのは、周りの世界を(ある意味で)気にしない。隣の町が、より多く産業があるから、我々は、それに追いつかなければならない。とか、隣町は、大きなビルが沢山建っているから、我々も負けないようにしよう。とか、隣町には、綺麗に整備された公園があるから、我々の公園は、みすぼらしく見えてしまう。とか、そんな無駄なことで気を使ったりはしない。元々、比較することが無意味なのを、知っているからだ。
その結果、周りの世界の人たちから見れば、経済活動も少なく、立派な建築物も無く、町全体も綺麗に整備されてもいない。だらしない世界と映るかもしれない。しかし、本質は、そうではない、一番必要な物は、しっかり作られ、整備されているのだ。しかし、多くの人にとって、それは見えない。
だらしなさとは、最初に言ったように、人が人を評価するために使う言葉だが、しかし、それは、本質を表してはいない。その事に多くの人が気づかないでいるから、その本質が見えてこないのだ。
しかし、それでいいのである。桃源郷とは、誰にも見つけられるものでは無いように、良い世界も、真にそれを欲する人にだけしか、良い世界として、現れてこない。


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だらしなさについて(その6)

ちょっと横道に逸れるような話だが。
仕事を沢山して生きている人がいる。一方、仕事を何もしないで、しかし、何とか生きている人たちもいる。仕事をしなくても、生きている人たちがいる、と言うことに注目してもらいたい。
さて、人が生きていくためには、常に物質を生産する必要がある。食料や、その他の生活に必要なものだ。
それらは今、ある限られた人たちが作っている。みんなが生産する必要は無い。何故なら生産能力が十分あるからだ。人々が生活するのに必要な物質は、実は十分に足りている。それは、人々は、少なくとも、生きてはいる、ということで証明される。
しかし、もし、今働いていない人たちも、協力して作ったら、どうなるだろうか?それぞれの人たちの労働時間は、かなり少なくなる。つまり、みんなが、楽できるようになるのだ。しかし、それは出来ない。何故なら、いま、働いている人たちが、自分の仕事を分担させようとは、しないからだ。なぜそうなるのか?そこには恐怖が存在するからである。(この恐怖については、改めて、ひとつの項目として、いづれ書いてみたいと思う。)
人は、恐怖を持っているから、働けるだけ働こうとする。恐怖の強い人は、それだけ、より多く働こうとする。(働くとは、必ずしも、お金儲けのことだけを言っているわけではない。)より多くの物質を自分の物にして、周りに置こうとする。こういう人は、自分が働く場を取られるのが許せない。労働を分かち合うことができないのだ。その為、労働環境不足、という事が起きる。そして、どう言うことが起きるかと言うと、労働を無理やり作ることになる。今、多くの人は、サービス産業で、労働している。これらの多くは、本来、必要の無いものだ。根本に戻って考えて欲しい。人が人にサービスをする、とは、人が人に親切にする事と変わりがない。それは、本来、経済活動なのだろうか?今、無理やり経済活動にしているのである。その理由は、労働する場が無いからだ。また、経済活動にすることにより、金銭が動き、それによって、得するものがいるからだ。
金銭が動くことによって、得するものとは、金融業と、政府(税金が入る)である。政府は、盛んに産業の活性化、増大を唱える。何のことは無い、税金をより多く欲しいだけだ。産業の増大=人々の幸せ、では無いことには、目をつぶっている。


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だらしなさについて(その5)

人間は、だらしなくなることを目標に、行動している。
社会は、それを阻止しようと動く。
これが、一般的な世界だ。

良い世界では、ちょっと違う。
人間は、だらしなくなる事を目標に、行動している。
良い世界のシステムは、それを、手助けしようとする。

こんな言葉を聞くのは、初めてだろう。
私が、今作った言葉だから、当たり前だ。
だらしなくする。そうなろうとする。事が、人間の目標だなんて、今まで誰も言ったことがない。むしろ、「だらしなくするな!」「そんな生き方をすると後悔するぞ!」と言うような言葉の方が、一般的だ。
しかし、私は、そんな言葉を使ったことが無い。こんな年になっても、どんなに若い人に向かっても、人を諭すような言葉を、発したことが無い。それは、私自身が、だらしなさと言うものの意味を多くの人とは、違うように捉えているからだ。
実は、人間は、だらしなくなろうとしているのである。
だらしなくないイメージで、周りを飾ることで、だらしない自分を隠し、しかし、本当は、もっとだらしない自分になりたいと欲しているのである。自分で気づいていないか、隠そうとしているだけである。
簡単に言えば、人間は、ボタンひとつで、生きていける世界を目指している。(しかし、そうはならない。それは、人間自身に問題があるのだが、その事に付いては、今は、省略する。)

今まで、このブログで、いろいろな事を書いてきたが、それらと、一見繋がりの無い、この「だらしなさ」について、そろそろ、結論を、書いてみようと思う。
これを書き終わらないと、良い世界のまとめも書けないと思うからだ。


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だらしなさについて(その4)


定時で帰る人間より、残業を多くする人間が評価される。
ビジネススーツをきちっと着ているものが評価される。
最近は、太っている人間や、タバコを吸う人間も、自己管理が出来ていないと言うことで、ビジネス界では不利になるらしい。
他にも、いろいろある。
女にだらしない。金銭感覚が為っていない。時間にルーズ。環境をきれいに出来ない。
ここまでくると、さすがに私もかばいきれない部分もあるが、では、これらは、規制すれば、直せるようなものなのだろうか。
また、直せば、良い世界は生まれるのだろうか?

また、こんな考え方も出来る。
自分の部屋が掃除できなくて、家政婦を雇って、あるいは、お掃除ロボットを買って、掃除させる。
さて、部屋はきれいになった。しかし、この人のだらしなさが無くなったことになるのだろうか。

時間がなかなか守れないので、目覚まし時計をたくさん置いたり、携帯(今はスマホか?)にスケジュールを入れてアラームを頻繁に鳴らす。
さて、この人は、時間に遅れることは少なくなったが、この人自体が時間にルーズではなくなったと、いえるのだろうか?この人の本質は変ったと言えるのだろうか?また、この人の精神状態はそれによって、どうなっただろうか?

人間は、なぜ、トップになろうとするか?
それは、自分だけは、自由でいたいからだ。
自分の思い通りに、行動したいからだ。
人に命令されなくて済むようになるからだ。
自分が何をしても、誰もとがめないからだ。
さて、誰もとがめなくなったこの人は、だらしない人ではなくなったといえるだろうか?

だらしなさとは、人の本質を表現する言葉のようだが、しかし、その評価は、見た目で判断されるのである。しかし、見た目は実は、本質を表していない。統計解析で言うところの擬似相関である。つまり、だらしなさと見た目は、本当は相関してはいないのに、相関しているように見える。統計解析では、こういう擬似相関では、本当の原因は見つけられない、と、判断するのだ。


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